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第七章 義経の七つ石 (大中) 

       

        

             第七章

          義経の七つ石


おごる平家をうち滅ぼして

源氏時代をつくるのに、一番手柄のあった源義経が気の毒に

も、兄の頼朝のうたがいを追われる身となり

日本国中、住むところの無うなったのはなんとも悲しい

ことやないか。

はじめ、義経は瀬戸の海から船で西国へ逃れようとしたのが

大しけで失敗、京都へもどって、そこから陸の道をたどって

果てしない、身をかくす旅に出たもんや。



京都から奈良へ出て、山の辺の道を南へ歩いてから

長谷街道を西へ、高田の里ヘ入り

大中の村の小さなお宮の前ヘきて、義経主従の一行は一息

入れたと思いなされ。

でもまあなぜに、義経一行が、この高田へ足を向けたかと

いうことは、義経の大事な人、静御前の母、磯野禅尼の住む

村がすぐこの先にあったからなんや。



さて、この大中の社の前で休んだ一行の人数は

だいたい十人ぐらいだったということや。

義経、静、武蔵坊弁慶、常陸坊海尊、駿河の次郎

伊勢の三郎、亀井六郎、片岡経春、佐藤忠信と荷物持ちの

喜三太がそれぞれの名前と思いなされ。



さしず役の弁慶が

気をつけねば磯野には鎌倉方の追っ手がまわっているかも

知れぬので、伊勢の三郎を物見に出し

静様には片岡経春をつけて

こっそり、禅尼様のもとまで送らせまする。

あとは物見の三郎がもどるまで、しばらく息を入れて

これから先の思案をしましょうぞ。

といい、残る七人が境内の七つの石に腰をおろすことを

すすめたということや。



義経主従が、これから先の苦労を思いながら

刻を過した腰掛け石が、今も、大中のチャンチャン社に残る

義経の七つ石やそうな。





※本文と絵は大和高田の民話絵本より。
歩く人 高田の民話と伝承の郷、11ヶ所を訪ね歩いてきました。

   1話づつご紹介いたします。




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